タイ歴史〜その1、タイ周辺古代王朝
お待たせしました、長くひっぱりました歴史のお話です。
とはいえ、いつもと同様に歴史以外のお話もありますので、合わせて楽しんで読んで下さい!
前置き
アユタヤ旅行の次にもう一つの古都である、 スコータイ旅行記を書こうかと思いましたが、歴史遺産の土地紹介 をその背景となる歴史について語らねば話ならんな、と思い、 タイ歴史について記事にします。
前回のアユタヤ旅行記は、ほとんど歴史の話をしてへん! 鶏の話だけやん。
という苦情は現在のところありませんが、 元品質担当なので、クレームよ、どんと来いです!
さて、今回はみっちりかっちり歴史のお話です。
タイ歴史について、書き始めると長くなってしまいましたので、3 部作に分けました。
ある人気映画でのエピソード4から始まるような 途中からスタートにはせず、最初から始めますのでご安心を。
タイ歴史ブログ記事のきっかけ
私はとくに世界史ラブです。
懐かしい、高校時代に読んだ世界史の教科書。ボロボロになるまで覚えました。
世界史は学生時代のペーパーテストも一番点数が良く、 海外旅行好きも元々歴史が好きであったことが原点です。
きっと、 私は父親の影響を受けていると思います。父親も歴史が好きで、 家には日本・世界史の本がたくさんありました。
そして、 ある歴史がお好きな方からもタイ歴史のブログ記事の要望もありましたので、早々とこの記事は書こうと思いました。
ただ、タイの歴史を調べ書き出したら、 他に準備していたブログ記事を飛び越え、 予想通りこの記事を一番先にお披露目することになりました。
私は旅行より歴史好きと。
リケジョではなくレキジョですわ。
好きなことを書くというのは、いいですねー。
ウンウン。
一つお断りとお願い
このようにタダのレキジョで、 本やネットで調べて繋げて記事にしていますので、 もしかしたら記載内容に間違いがあるかもしれません。 間違い等のご指摘頂ければ、幸いです。クレームも可(しつこい)
さてータイの歴史へ!
不思議も派遣!
(漢字は間違いではなく、わざとですよ。)
タイの国土位置とタイについておさらい
歴史を語るのに重要な点は、自国の特徴と隣国との位置関係です。
タイは大国である中国の南方に位置し、現在はミャンマー(ビルマ)、ラオス、カンボジア、マレーシアに囲まれ、 タイの南方は海に接しています。
正式名称はタイ王国、国土は日本の1.4倍、人口は約7000万 人、ざっくり日本人口の半分です。
首都はバンコク。
このバンコクという名称は外国人による呼称でありタイ人はクルン テープ(くるんと、テープ、ではありまへん)ですが、 正式名称は長くて、最初だけを読んでいます。
ちなみに、「バンコク」 の名前はその昔ポルトガル傭兵団が現地人に聞いた、名前「 バーン(村)・マコーク( 東南アジアに自生するオリーブに似たウルシ科の果実)」 が訛ったことによる由来が一説にあるようです。
この写真がマコークです。
話が逸れましたが、タイ人が使う首都のクルンテープの正式名称は長いです。
「クルンテープ・マハーナコーン・アーモンラタナコーシ ン・マヒンタラーユタヤー・マハディーロックポップ・ノッ パラッタナ・ラーチャターニー・ブリーロム・ウドムラー チャニウェート・マハーサターン・アモーンピーマン・アワ ターンサティト・サッカタットテイヤ・ウィサヌカム・プラ シット」
まるで、呪文です。
これを訳すと、「天人の都、雄大なる都城、帝釈天の不壊の宝玉、 帝釈天の戦争なき平和な、偉大にして最高の土地、 九種の宝玉の如き心楽しき都、数々の大王宮に富み、 神が権化して住みたもう、 帝釈天が建築神ヴィシュヌカルマをして造り終えられし都。」
くどいわー
要約すると、「すげえ都だぜ!」を言いたいでしょ。
似たようなことで、タイ人の名前は姓名ともに長くてて覚えにくいので、 だいたい長い名前の一部を取ったあだ名があります。 かっこつけず、最初から短くすればええのにね。
タイ歴史の概要
現タイ領土での歴史は大きく5つの時代に分けられることが多いので、その分け方で説明します。
日本より時代区分が少なく、 すっきりしてて、エエですわ。
<時代・王朝名と首都>
1.〜1240年
古代王朝・ クメール王国(カンボジア)による支配、日本は鎌倉時代
2.1240〜1378年
スコータイ王朝 @スコータイ県、日本は室町時代
3.1351〜1767年
アユタヤ王朝 @アユタヤ県、日本は安土桃山時代、江戸時代
4.1767〜1782年
トンブリー王朝 @バンコク、1766年 平賀源内エレキテル発明
5.1782〜2020年(現在)
チャックリー王朝 @バンコク、1783年 天明の大飢饉
1.の1240年まで、 大まかに括りすぎるだろーと思いますよね。
なぜなら、 日本とは違いタイは周りが国土なので国境がビミョーな時もありま す。それまでの時代は現在のカンボジアで、 一つの一族がタイ国領土を支配していたわけではないので、「 タイ歴史ではない」ということでしょう。
日本の江戸幕府が264年間なので、アユタヤ王朝の417年、 チャックリー王朝の237年というのは相当長いですね。ただ、 アユタヤ王朝は一時期ミャンマーに支配されていたり、 その後再び独立期間があります。
さて、これからはその5大王朝を3つに分けて詳しくお話します。分け方は、今回のその1で古代王朝、その2で スコータイ、アユタヤ王朝、その3で残りの王朝にしました。文章が壮大に長くなりましたので、間に歴史の主流とは違うお話を挿入する形式にしちゃいます。
ちなみにタイの王様で有名なタイ三大王についても一緒に記載して いますので、歴史の概要を抑えるのに良いでしょう。
その大王の名を冠するのはラームカムヘン大王(別名 羅王、スコータイ王朝) と救国の軍神ナレースワン大王(アユタヤ王朝)、 そして近代化の父チュラロンコン大王(別名 ラーマ5世、チャックリー王朝)の3人のみです。
それでは、不思議を派遣!
ととと、タイ歴史に入る前にタイの周りの諸国を含めた東南アジア諸国をお話しましょう。
なぜって?
歴史にかかわりがあるからです。日本でいえば、韓国、 中国ですので、 いわゆるお隣さんの国もついでに知っておこうという話です。
0.東南アジア史の複雑さ
東南アジアというくくりになるからですが、 ここでいう東南アジアは「ベトナム、ラオス、カンボジア、 フィリピン、カンボジア、タイ、ミャンマー(ビルマ)、 ブルネイ、タイ、マレーシア、シンガポール」です。今のASEA Nと同じ区分です。
大きく3つに分けられ、文化と宗教が大きく異なります。
1.べトナムなど東方を中心とする中国文化の影響圏 仏教圏、
2.ミャンマーなど西部を中心とする、インド文化の影響圏 仏教圏、
3.インドネシア周辺島々のイスラム圏(元々は仏教圏。 フィリピンは後にカトリック圏)
東南アジアを構成する民族は歴史的、言語的観点からは、 大きく次の3つにわけられます。
A. 東南アジアに最も古くから住んでいる民族、モン・クメール語族。 これは、今のベトナムやカンボジアの原住民、モン族が代表です。
B. 紀元前2000年頃より中国の華南地域より船に乗って南下して来 た人達え。これが、マライ・ポリネシア語族で今のマレーシア、 インドネシア、フィリピンの原住民、それからチャム人です。 チャム人は今では少数民族ですが、 かつてはチャンパーという大きな国を建てています。
C. 3つめが、それらよりかなり遅れて9~13世紀頃に、 今の中国雲南省・貴州省より南下してきた人達、シナ・ チベット語族です。この民族は今のタイ人、ミャンマー(ビルマ) 人を形成しています。
歴史は残された文献や遺跡から研究が進みますが、東南アジアは上 記の異なる民族と宗教が混在しており、例えば同じ国でも、 文献で出てくる国名の呼称が違ったり、 そもそも同じなのか違うのか、非常に難しいらしいです。
ま、適当ですし。
さらに古代王朝ははっきりとしていないところも多く、 あくまで今のところの歴史であり、 大きく塗り替えられることは十分に予想されます。今後、 もしかしたら違う解釈が出てきたら面白いですね。
不思議というより、複雑、はっきりせえへん、と思ってください。
いち歴史記述ということで、読んでくださいませー
さて、やっとこさタイのお話はじまりー
1.タイ周辺の古代王朝
前振りしましたが、さらりと東南アジアで括りまっせー!
・紀元前後
中国南部に住んでいたモン、クメール、 タイを始めとする様々な部族が、漢民族の進出におされ現在「 タイ」 の名で知られるこの地域に次々と押し寄せたとされています。
・5~6世紀
「チャオ」と呼ぶ首長のもとで森を田に変え、人口も増加し「 ムアン」と呼ぶ城市を建設。それが今のタイ北部、ラオス北部、 中国南部の祖先といわれています。
・7世紀頃
タイ族最初の大国ドヴァーラヴァティ国が誕生していますが、 現在のタイ領土にはタイ南部のマレー半島ではシュリーヴィジャヤ 国、タイ北部・ チャオプラヤー川上流のランプーンにハリプンチャイ国が支配。
ベトナム中部・南部にチャンパ王国、 チャンパ碑文にタイ民族のことを指している「シャム」 という民族名があらわれています。
どの国の名前も噛む自身があるほど、言いにくいですな。
・9世紀
カンボジアのクメール帝国(アンコール朝)が台頭し、 タイ東北部や東部を支配域に置きます。
当時のだいたいの国位置です。 おおよそですよ。
ちなみに、現国名のカンボジアという名前の由来について。
1500年ポルトガル人がこの国を訪れた時、 王がカンボという名前だったため、それに地名を表す接尾語iaを つけ、 カンボジアとしてヨーロッパに紹介したことから国際地名になった とか。この地名普及のスピードは速く、 江戸幕府でもカンボジアの地名が登場します。
先ほどのバンコクと同様、 ポルトガル人による名前付けが多いです。
・11世紀~12世紀
カンボジアのアンコールを首都にしてタイ東北部にも勢力を伸ばし ていたクメール王国は、 一時はタイ全土を支配するほどの勢力を誇ったのですが、 その後急速に勢力が衰えて凋落していったのでした。
儚い・・・
ただし、 当時の栄華を誇ったクメール美術やクメール様式の建造物、 クメール文字などの文化的な産物は、 その後のタイ族王朝にも大きな影響をもたらしたのでした。
ここで、1部の序章は終わりにします。
まだ、三大王が一人も出現せず面白みがありませんが、 最初はこんなもんです。
それに、あれ?不思議がない!
ということで次ブログは不思議の話をしようかと。よくある、古代歴史のミステリーです。
私は調べるまで知らなかったので、相当驚きました。
たくさん調べているので、そのぶん来週アップできるか・・・そろそろ疲れてきましたし。
そして歴史の勉強でよくアルアルですが、 最初に出てくる古代王朝ばかり力が入り、 後の近代史が疎かになる。今回はそのようなことが無きよう、 内容はどんどん増すようにしてなっちゃて、すんごく長くなっています...
今年一番の対策、いや大作ですわ。
という期待だけ上げておきます、笑
では、いつになるやら、次回ブログを大いにお楽しみに。