ラーンナー王朝の寺院と歴史~北部旅行5
チェンマイでの散策について。チェンマイは「北方の薔薇」と称され、地名だけでも聞いたことがある人もおられるかと思います。
街の印象は京都市のようで、区画分けされています。次の地図でいうと、黄色の四角周りの内側が「旧市街地」と呼ばれます。
歩けば棒に当たるではありませんが、何かしら仏像や寺院がところどころ見ることができます。なので、京都みたいです。
四角に囲まれた、旧市街は「城壁」に囲まれていますが、写真のように現在は完全な囲いではありません。
今回はそんな古都溢れるチェンマイの寺院と歴史を紹介します。
ラーンナー王朝の歴史
少し歴史のお話を。前回のチェンライ・チェンマイを中心とするタイ北部地域は、中央(バンコク周辺)とは異なる王朝が存在していました。名はラーンナー王朝(1292-1775)で、当時中央の王朝はスコータイ王朝及びアユタヤ王朝に当たります。
出典:Wikipedia
中央と同じく、このラーンナー王朝も一時隣国のビルマ侵攻を受けています。その後占領から復興後、現在のタイ王朝(チャクリー王朝)の支配下になり、ラーンナー王朝は終わりを告げました。
文字は北タイ語と呼ばれるビルマ文字に似た独自の文字を使用していました。現在ではタイ語で統一され普段使用されていませんが、文字の復興として街中の表示にタイ語との併記を見かけました。写真上から北タイ語、タイ語、英語
チェンマイで一番大きな仏教寺院
ワット・チェーディー・ルアン
タイ語でワット(寺院)、チェディ(仏塔)、ルアン(巨大な)。そのままですね。
Wikipedia によると、この寺院は王の遺灰埋葬を目的に建立開始。開始から10年後、未完成のまま一時放置され、建築の安定性(!?)の問題により50年ほどの歳月をかけて完成されたそうです。
これを読んで納得。一時放置後の完成に時間がかかるのは、現在のタイ人マインドに引き継がれているとヒシヒシと私は思います。いつまでも完成しない。
これまた先の写真での上部一部の欠けは地震の影響だそうですが、やはり崩れやすかったのでしょう。そして現時点では改修はされず。そのため、もともと最長約80mが、現在40mほど。放置でいいのかな。
その他寺院と煌びやかなポリース
いい天気です
金ぴかの仏像がたくさん。
これまた、金色でチェンライで見たドラゴンと似ていますね。
おっと、警察署。派手で分かりやすい。手前の像は遠くから見て、「助けている」をアピール?
山頂にある寺院へ
山頂にある寺院の名前は、ワット・プラ・タート・ドイ・ステープ。
チェンマイの街を見下ろすことができる標高1676mのステープ山頂1080mに建てられた寺院。市内から車で約40分ほど。
車はここまで。周りには土産や食べ物の屋台が並びます。
この像は何か分かりませんが、「お疲れ様」という声が聞こえそうです。それもそのはず、チェンマイでTOEIC受験の後疲れたところでこの寺院へ行ったからだと思います。
周りには、ATMが。お賽銭をしましょう。という意味でしょう。
本堂までは頂上に行く必要があり、ケーブルカーがあるはずですが見つからず。仕方なく階段(約300段)を上ることに。このナーク(蛇神)は至るところで見かけます。
横から見ると、蛇神を食べ過ぎて口から出ちゃった・・・感じ。
さて、頂上。綺麗な景色が広がります。
境内もお花や寺院が華やかです。
見晴台を下から撮影。動物は十二支でしょう。
メインの本堂は金ぴか!
皆さん、熱心にお参りされていました。
境内には吊るされた鐘がたくさんあります。すべて鳴らすと幸せになれるといわれますが、鐘がありすぎるのと、大きいので鳴らしたら怒られそうです。実際、小さな鐘は鳴っていましたが大きいのは鳴っていませんでした。
泣き顔の仏像。
以前アユタヤでも見かけましたが、堂々とお休みされている犬さん。
金色だけではなく、カラフルな寺院でした。さて、街中の雑貨店やご飯やさんについては、次の旅行ブログにて。
今回のラーンナー王朝に関わりのあるスコータイ王朝とアユタヤ王朝について。以前に投稿した記事を貼っておきます。お忘れの時は見返してみてください。